【寶登山神社】心洗われるパワースポット|火難除けと絶景の奥宮を巡る旅
「寶登山神社(ほどさんじんじゃ)」で御朱印を頂きました。
2022.04.18参拝

「寶登山神社」
所在地:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
駐車場:あり(無料)
アクセス:秩父鉄道「長瀞駅」から徒歩約15分、関越自動車道「花園IC」から国道140号経由で約30分

埼玉県長瀞町にある「寶登山神社」をご紹介します。
「Michelin Green Guide Japon(2011年)」では、一つ星を獲得した名所です。

秩父三社の一つとして知られるこの神社は、凛とした空気感と鮮やかな社殿の彫刻、そして山頂からの絶景が魅力。
宝登山の山頂へはロープウェイでアクセスでき、奥宮や小動物園へも気軽に訪れることができます。

山頂には景色を楽しめるレストハウスもあり、観光やデートにもおすすめのスポットです。
都心からの日帰り旅にもぴったりな、癒やしのスポットをレポートします!

📜 寶登山神社のはじまり
寶登山神社の起源は、景行天皇41年(111年)にさかのぼります。

東国征討へ向かう途中、日本武尊が山頂を目指していたところ、
突如として山中に猛火が発生し、進退きわまる危機に陥りました。

その時――

道案内をしていた一頭の巨犬が現れ、
不思議な力で炎を鎮めると、忽然と姿を消してしまいます。

後に、この巨犬が大山祇神の神犬であったと知った日本武尊は、
その神威に深く感謝し、

・神武天皇
・大山祇神
・火産霊神

の三柱を祀る社殿を山麓に建立しました。

これが、寶登山神社のはじまりとされています。

🔥 山の名の由来
この出来事にちなみ、山は当初「火止山(ほどさん)」と呼ばれるようになりました。

やがて時代とともに呼び名が変化し、
現在の「寶登山(ほどさん)」という名になったと伝えられています。


「夫婦円満」「恋愛成就」のご利益が授かれる「相生の松」

👉 四季折々の花々と長瀞の絶景
宝登山は花の山としても有名です。

冬〜春: ロウバイ、梅
春: 桜、ツツジ
秋: 紅葉

特に冬のロウバイ園は、黄色い花が山頂を彩り、甘い香りに包まれます。
山頂からは秩父の山々や長瀞の町並みが一望でき、深呼吸したくなるほどの開放感です。


👉 豪華絢爛!色彩豊かな「本殿」に感動
鳥居をくぐり、緩やかな坂を登ると見えてくるのが、立派な二の鳥居とその奥に佇む本殿。
まず目を奪われるのが、その極彩色の彫刻です。
二十四孝(中国の親孝行の物語)などを題材にした細やかな装飾は、いつまで見ていても飽きない美しさ。
火災盗難除けや開運のご利益があるとされ、参拝すると心がシャキッと整うような不思議なパワーを感じます。


弘化4年(1847年)~明治7年(1874年)にかけて再建された本殿。
彫刻が施された権現造の本殿は、鎮座1900年の改修事業により彩色が直されて、現在、豪華絢爛な美しい姿を見ることが出来ます。
社殿内の天井には、動植物などが描かれています。

👉 ロープウェイで標高497mの「奥宮」へ
本殿の参拝を終えたら、ぜひ山頂にある「奥宮(おくみや)」へ向かいましょう!
山麓駅からロープウェイで約5分。
空中散歩を楽しんでいる間に、あっという間に山頂付近に到着します。
奥宮は、日本武尊が山火事に遭った際、巨犬に助けられたという伝説の地。
ひっそりと静まり返った森の中に佇む奥宮は、本殿とはまた違った神聖な空気が漂っています。

👉 旅の思い出に「御朱印」と「お守り」
参拝の証に、美しい御朱印をいただくのも忘れずに。
また、火難除けの神社ならではの「火伏せ」のお守りや、可愛らしい犬(狼)がデザインされた授与品も人気です。


書置きで拝受した御朱印。
御朱印は本殿右側の授与所で頂けます。

寶登山神社は、歴史と自然が溶け合う、長瀞観光には欠かせない場所でした。
長瀞駅からは徒歩15分ほど。
岩畳(いわだたみ)の見学とあわせて、ぜひ足を運んでみてくださいね!
2022.04.21 17:35 | comment(0)
【都幾山慈光寺】「鎌倉殿の13人」大泉洋さん演じる源頼朝ゆかりのお寺
都幾山慈光寺(ときさん じこうじ)で御朱印を頂きました。
2022.04.18参拝

所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平386
駐車場:あり(無料)
アクセス:関越自動車道「東松山IC」または「嵐山小川IC」から約30分

埼玉県ときがわ町。
都心から車で1時間半ほどの場所にある「都幾山 慈光寺」を訪ねてきました。
1300年以上の歴史を誇り、かつては「比企の山寺」として源頼朝や徳川家康も篤く信仰したというこのお寺。
実際に足を運んで感じた見どころをレポートします!

📜 慈光寺の由緒
慈光寺は、源頼朝が戦勝祈願を行ったことでも知られる、古くから信仰を集めてきた由緒あるお寺です。

関東最古の山岳寺院とされ、
「坂東三十三観音霊場」の第9番札所にもなっています。

その起源は白鳳2年(673年)に、興福寺の僧・慈訓が千手観音堂を建立したことに始まります。

さらに宝亀元年(770年)には、鑑真の高弟である律宗の僧・道忠によって、
現在の慈光寺が創建されました。


👉 観音堂と「開運」の空気
急な石段を上がった先にある観音堂。
坂東三十三観音霊場の第9番札所ということもあり、御朱印を求める巡礼者の方も多く見かけました。
山の上にあるため空気が澄んでいて、境内にいるだけで背筋が伸びるようなパワーをもらえます。

治承3年(1179年)観音信仰に帰依していた源頼朝は側近の安達盛長に命じ、
配流されていた伊豆国から、署名入りの洪鐘を寄進しています。

洪鐘の寄進は、頼朝が平家討伐を決意し挙兵した前年だったので「戦勝祈願」だったのかも知れませんね。

文治5年(1189年)には奥州征伐の戦勝を慈光寺で祈願させ、愛染明王像を寄進しています。

👉 圧倒的な歴史の重み!国宝「慈光寺経」
まず驚くのが、ここには埼玉県内に5つしかない国宝の一つが所蔵されていること。
それが「法華経一品経(慈光寺経)」です。

鎌倉時代、後鳥羽上皇や源頼朝らが天下泰平を願って奉納したとされる豪華絢爛な写経。
宝物殿でその緻密な美しさを目にすると、当時の人々の祈りの深さが伝わってくるようです。


門の奥に見えているのが本堂です。
戦国時代には僧兵を揃え、近隣城主との抗争に明け暮れていたそうですが、扇谷上杉家家宰・太田道灌らにより焼き討ちになったそうです。
焼け残った木彫りの大きな仏像が本堂で拝見でき、黒く煤にまみれたお姿に心が痛みました。
江戸時代には徳川将軍家の帰依を受け、手厚く保護されたそうです。

👉 春は一面の「シャガ」の絨毯
慈光寺は「花の寺」としても有名です。
特に4月下旬から5月上旬にかけて、参道や境内を埋め尽くすシャガの群生は圧巻!
白地に紫と黄色の斑点が入った幻想的な花々が、新緑の中で揺れる姿はまさに極楽浄土のよう。
春に訪れるなら、この時期が一番のおすすめです。


御朱印は直書きで本堂を入り右側のご内陣で頂けます。
書きあがりをお待ちする間、仏さまにお参りさせて頂けます。

御朱印やお守りの郵送頒布にもご対応頂けるそうです。

ふもとのときがわ町で美味しい空気を吸いながら、地元の豆腐料理や古民家カフェでのんびりするのが黄金ルート。
自然豊かなドライブコースとしても最高です。
歴史好きの方も、花に癒やされたい方も、ぜひ一度足を運んでみてくださいね。
2022.04.20 17:26 | comment(0)
【巌殿山正法寺】岩殿観音と鎌倉幕府|比企一族が守り、北条政子が祈った古刹の物語
巌殿山正法寺(いわどのさん しょうぼうじ)で御朱印を頂きました。
2022.04.18参拝

「巌殿山正法寺」
所在地:埼玉県東松山市大字岩殿1229
駐車場:あり(無料)※物見山公園近くの駐車場などを利用
アクセス:東武東上線「高坂駅」から川越観光バス「鳩山ニュータウン行き」で「物見山登山口」下車徒歩約10分

埼玉県東松山市に佇む「巌殿山正法寺(岩殿観音)」。
坂東三十三観音霊場の第10番札所として知られるこの寺院は、実は鎌倉幕府の草創期を支えた比企一族や、伝説の尼将軍・北条政子と深いゆかりがあることをご存知でしょうか?

今回は、歴史の表舞台に登場する重要人物たちとこの寺の、知られざる絆を紐解きます。

⚔️比企能員が治め、守り抜いた「比企の聖地」
鎌倉幕府の有力御家人であり、源頼朝の乳母の養子として大きな権力を持った比企能員(ひき よしかず)。
彼はこの岩殿観音がある比企地域を本拠地としていました。
寺伝によれば、能員は岩殿観音の別当(住職に相当する管理職)を務めていたともいわれており、この地を単なる領地としてだけでなく、一族の精神的な拠点として大切に保護していました。

💡 ポイント!
比企能員は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で佐藤二郎さんが演じた武士です。


「正法寺観音堂」
観音堂のご本尊は千手観音菩薩様です。
参拝時に見える千手観音像は前立本尊となっていて、厨子の奥に秘仏ご本尊の千手観音菩薩坐像が安置されています。

👉 北条政子の「守り本尊」としての信仰
岩殿観音の御本尊である千手観音は、源頼朝の妻・北条政子の守り本尊として篤く信仰されていました。
頼朝もまた観音信仰に深く帰依しており、坂東三十三観音札所の制定には、比企地域を治める能員の影響も少なからずあったと考えられています。
政子にとってこの場所は、激動の鎌倉時代を生き抜く心の拠り所だったのかもしれません。

👉 愛する夫・頼朝への祈りと「諸堂の再建」
源頼朝が亡くなった後、悲しみに暮れる北条政子は、夫の菩提を弔うために大きな決断をします。
彼女の発願によって、岩殿観音の諸堂の再建が行われたと伝えられているのです。
比企能員の庇護と、北条政子の深い祈り。
のちに「比企の乱」で激突することになる両家ですが、この岩殿観音においては、共にこの寺を支え、守り伝えるという共通の足跡を残しています。


戦国時代、武蔵松山城主だった上田朝直が掲げた高札のレプリカが参道の階段脇に建てられています。
巌殿山一体の草木の刈り取りを禁じる内容が書いてあるそうです。

👉 武田信玄、松山城攻めの拠点
永禄6年(1563年)武田信玄が同盟者である北条氏康の要請を受け、武州松山城(埼玉県吉見町)を攻略しました。
武田信玄は松山城攻めの拠点として、本陣を正法寺に置きました。
武田軍は、金掘衆を用いた地下坑道作戦や水の手を断つ戦術で、上杉謙信の救援が雪に阻まれる中、城主・上杉憲勝を降伏開城に追い込み、関東の覇権争いにおける重要拠点を獲得しました。
その後、この城は北条氏の支配下となり、北条氏家臣・上田朝直が城主となりました。


直書きで拝受した御朱印。
御朱印は仁王門の右側を入った納経所で頂けます。

巌殿山正法寺は、ただの観音霊場ではなく、鎌倉幕府の成立を支えた比企一族や、北条政子の祈り、そして戦国時代には武田信玄の本陣が置かれた――

まさに、時代ごとの“重要な場面”に立ち会ってきた特別な場所でした。

静かな境内を歩いていると、華やかな歴史の裏にある、人々の想いや祈りが、今もなお息づいているように感じられます。

坂東三十三観音霊場としての信仰はもちろん、歴史好きの方にとっても見逃せないスポットです。

次に訪れるときは、ここに関わった人物たちの姿を思い浮かべながら、ゆっくりと参拝してみたいと思います。
2022.04.19 03:23 | comment(0)
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御朱印集め初心者夫婦が自由気ままに御朱印巡りをしています。

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