【三崎稲荷神社】地の果て『南極』へ向かう勇者たちが頼った、都会の小さな稲荷さま
三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)で御朱印をいただきました。

三崎稲荷神社(Instagram)」
所在地:東京都千代田区神田三崎町2-9-12
駐車場:なし
アクセス:JR総武線・中央線、都営三田線「水道橋駅」より徒歩約3分

水道橋駅のすぐそばに佇む「三崎稲荷神社」。
都会の喧騒の中にありながら、一歩足を踏み入れると背筋が伸びるような神聖な空気が漂っています。
今回は、この神社がなぜ「清めの稲荷」と呼ばれ、歴史の荒波をどう乗り越えてきたのか、その興味深いエピソードを紐解いてみましょう。

📝 参拝情報
境内への参拝は24時間可能です。
社務所受付時間:9:00 ~ 17:00
定休日:年中無休

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
通常の御朱印に加えて、凝ったデザインの限定御朱印も人気です。
御朱印の種類
・通常御朱印
帳面に直接揮毫(直書き)していただけます。
・季節の限定御朱印
狐のお面をモチーフにした「切り絵御朱印」などが期間限定で頒布されることがあります(例:9月~11月の秋季限定など)。
初穂料
通常御朱印:500円程度
限定・切り絵御朱印:1,000円~1,500円程度(デザインにより異なります)
・オリジナル御朱印帳
神社の社殿や狐がデザインされたオリジナルの御朱印帳も用意されています。
受付時間:9:00~17:00
授与場所:境内入り口の鳥居をくぐって右手にある社務所にてご対応いただけます。


「直書きでいただいた御朱印」


「干支の大絵馬」
駆けるように、運気も上向きに。
そんな一年になりますように。


とっても素敵な「手水舎」
そっと手を清めて、心まで澄んでいくようなひととき。
静かな水音に癒されて、少しだけ優しい気持ちになれました。


「椿の生け花」
「清めの稲荷」として知られる三崎稲荷神社。
社務所の窓口に飾られた美しい生け花は、この神社の「おもてなしの心」を表しているかのよう。
小さな心遣いに、心の中に溜まっていたトゲトゲした気持ちまで、すーっと洗い流されていくみたい。
自分へのご褒美に、この彩りを写真に収めて持ち帰りたくなりました。


「社殿」
📜 ご由緒
三崎稲荷神社、実は、徳川将軍家や江戸の歴史と深く関わりのある、とっても格式高い神社なんです。
👉 始まりは平安時代!
創建は建久年間(1190〜99年)といわれ、古くは神田川の岸にある「三崎村」の鎮守(地域の守り神)として誕生しました。
かつてこの地が日比谷入江に突き出した「岬(みさき)」だったことが、名前の由来といわれています。

👉 三代将軍・徳川家光も認めた「清めの稲荷」
江戸時代、三代将軍・徳川家光公は、参勤交代で江戸に来る大名たちに

「三崎稲荷で心身を清めてから登城するように」

と勧めたそうです。
これ以来、諸大名は参拝を欠かさないようになり、いつしか「清めの稲荷」と呼ばれるようになりました。
現代でも「旅行安全」や「道中安全」の神様として信仰されているのは、この歴史があるからなんです。

👉 激動の歴史と4回の移転
江戸の町づくりとともに歩んできた神社でもあります。
・江戸城の外堀(神田川)の工事
・幕府の訓練施設「講武所」の設置
・明治時代の鉄道(現在のJR中央線)開通
など、時代の変化に合わせて計4回もの移転を経て、明治38年(1905年)に現在の場所に落ち着きました。

👉 お守りした「神応湯」の伝説
かつては「神応湯(しんおうとう)」という疱瘡(天然痘)に効くお薬を参拝者に授与しており、皮膚病の快癒にもご利益がある神社として江戸の人々に親しまれていました。

⛩️ 都会の空気を一変させる「朱塗りの社殿」
鳥居をくぐると、正面にどっしりと構えるのが朱塗りの美しい社殿です。
現在の建物は戦後に再建されたものですが、その鮮やかな色彩は周囲のビル群の中で際立ち、訪れる人の心を明るくしてくれます。

まずはここで、旅の安全や日々の無事を祈りましょう。
かつて参勤交代の大名たちが登城前に身を清めたという逸話に思いを馳せると、背筋がすっと伸びるような感覚になります。

🏮 歌舞伎の世界とも深い縁
江戸時代の文化とも関わりが深く、歌舞伎の有名な演目『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に登場する悪役・仁木弾正(にっきだんじょう)のモデルとなった人物が、この神社の近くに住んでいたという説や、物語の舞台背景としての縁も語り継がれています。


「百度石(ひゃくどいし)」
🤔 そもそも「百度石」ってなに?
神社の入口や境内でよく見かけるこの石柱。
これは、同じ願いを何度も届ける「お百度参り」の起点となる大切な印なんです。
お百度参りとは、この百度石と拝殿の間を100回往復して祈願する習わしのこと。
三崎稲荷神社でも、古くから多くの人々がこの石を折り返し地点にして、切実な願いを神様に届けてきました。


「草鞋(わらじ)の像」
道中安全祈願の象徴として設置されています。

🌍 有名人たちの参拝エピソード
そんな歴史ある神社には、印象的なエピソードも残されています。
先ほど、ご由緒でも触れた「江戸時代の大名たち」が、参勤交代の登城前には参拝に訪れましたが、明治政府の最高首脳の一人・「大隈重信」(第8・17代内閣総理大臣)も、海外へ渡る際に参拝し、旅の無事を祈願したと伝えられています。

さらに、南極探検の際には、隊員たちのベストにこの神社のお守りを縫い付けて出発したというお話もあるそうです。

江戸時代の大名から近代の偉人、そして探検隊まで――
さまざまな人々の「旅の安全」を見守ってきた三崎稲荷神社。

今もなお、

「新しい一歩を踏み出す人をそっと支えてくれる」

そんなあたたかい場所に感じられました。

⛩️ 参拝後記
水道橋という交通の要所に鎮座し、江戸の武士たちが旅の無事を祈り、身を清めた歴史が今も息づく三崎稲荷神社。
現代の私たちにとっても、出張や旅行の前にふらりと立ち寄り、気持ちをリセットするのにぴったりの場所です。
次回の参拝では、線路のすぐ脇で歴史を見守り続けてきた社殿の佇まいに、ぜひ注目してみてくださいね。
2026.04.03 16:02 | comment(0)
【牛天神 北野神社】スマホを信じすぎて「心臓破りの坂」へ|牛天神 北野神社で春を満喫!
牛天神 北野神社(うしてんじん きたのじんじゃ)で御朱印を頂きました。

北野神社
所在地:東京都文京区春日1-5-2
駐車場:なし
アクセス:地下鉄丸ノ内線・南北線「後楽園駅」より徒歩約10分、地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」より徒歩約10分、JR中央線・地下鉄東西線・南北線・大江戸線・有楽町線「飯田橋駅」より徒歩約10分

文京区にある「牛天神 北野神社」へ参拝してきました。
学問の神様・菅原道真公を祀る、知る人ぞ知るパワースポットなのですが……。
たどり着くまでに、現代人ならではの「落とし穴」にハマってしまったので聞いてください。

📝 参拝情報
参拝時間:24時間可能ですが、拝殿の開扉は9:00~17:00です。
授与所受付(お守り・お札):9:00~17:00

🖌️ 御朱印の種類と初穂料
月替わりや行事ごとの豊富な「限定御朱印」で非常に人気が高い神社です。
御朱印の種類
・通常御朱印
通年授与される「牛天神」の御朱印や、干支が描かれたものがあります。
・月替わりや記念御朱印
毎月デザインが変わるほか、「昭和の日」「平成の日」「令和の日」といった特定の記念日に合わせた限定デザインが頒布されます。
・兼務社の御朱印
出世稲荷神社など、周辺の兼務社の御朱印もこちらで受けることができます。
初穂料:一般的な御朱印は500円ですが、デザインや形式(見開き等)によって異なる場合があります。
基本的には御朱印帳への「直書き」でのご対応です。
授与場所:境内左手の社務所にてご対応いただけます。
受付時間:9:00~16:00
御朱印の受付終了は授与所閉所より1時間早いのでご注意ください


直書きでいただいた御朱印。
今日はポカポカあったかくて、境内の桜は満開で
「春がきたんだなぁ~」と実感しました。


神社北側の「牛坂」
🗺️ スマホの地図が指し示した「過酷なルート」
後楽園駅からスマホのマップを片手に出発。
「よし、こっちだな」と案内されるがままに進むと、目の前に現れたのは……「牛坂」。
名前は可愛いですが、実態はかなりの急勾配!

「学問の神様に会うには、この試練を乗り越えねばならぬのか……」
と、息を切らしながら一歩一歩登りきりました。


「北野神社境内」
🌸 静かに寄り添う神社
大きな神社ではありませんが、その分どこか落ち着いた空気が流れていて、
👉 そっと願いを託したくなるような場所。

派手さはないけれど、やさしく寄り添ってくれるような神社です。


ご神木「木斛(もっこく)」
樹齢は100年を超えるそうです。


「手水舎」
すごく趣のある手水舎!
平成14年に「菅原道真公昇神1100年」を記念して奉納されたそうです。


「撫で牛(石牛)」さんの像
いうまでもありませんが‥‥
・頭を撫でると頭が良くなる
・悪いところを撫でると良くなる
といわれています。
そのため、受験生や参拝者がやさしく撫でていく姿がとても印象的です。

全国各地の天満宮にある「撫で牛」の風習ですが、ここ牛天神 北野神社は
「なで牛の発祥の地」とも言われています。


🐄「ねがい牛(撫で岩)」
ねがい牛には、創建のきっかけとなった源頼朝にまつわる不思議な伝説があります。
👉 源頼朝の夢とお告げ
元暦元年(1184年)源頼朝が東国平定(奥州征伐とも)の途中にこの地を訪れ、境内の大きな岩に腰掛けて休息をとっていました。
その際、頼朝の夢に牛に乗った菅原道真公(天神様)が現れ、

「汝に二つの喜びがある。願いが叶ったら社を建てて祀るように」
とお告げを残しました。

その後、実際に頼朝には二つの吉事が舞い込みました。
・嫡男(源頼家)の誕生(1182年/寿永元年)
・戦(東国平定)の勝利と支配権の確立(1183年/寿永2年)

この御利益に感謝した頼朝が、太宰府天満宮から御分霊を勧請して社殿を建立したのが「牛天神」の始まりで、頼朝が夢でお告げを受けた時に腰掛けていた牛の形の岩こそが、現在の「ねがい牛(撫で岩)」です。


「おみくじ掛け」
牛さんのシルエットが浮かび上がるようになってます。
おみくじは境内の梅の木には結ばないようにね!


境内社「太田神社・高木神社」
💫 牛天神の奥で、そっと息づく神さまたち
境内を歩いていると、少しだけ空気が変わる場所があります。
静かで、でもどこかあたたかい気配のする一角。
そこに佇むのが、太田神社と高木神社です。

祀られているのは、

「舞いと芸の神・天鈿女命」
「道をひらく猿田彦命」
「実りをもたらす宇迦御魂命」

夫婦の神さまと、暮らしを支える神さまが、穏やかに寄り添うように鎮まっています。

👉「貧乏神」だった神さまの、不思議な転機
ここには少し不思議な由来があります。

もともとは、黒闇天女という神さまが祀られていました。
弁財天の姉ともいわれ、「貧乏神」と呼ばれていた存在。

けれど江戸のある出来事をきっかけに、
“貧しさを追い払い、福を呼び込む場所”として人々の信仰を集めるようになります。

不運を遠ざける場所が、いつしか希望を呼ぶ場所へ。
その変化が、なんだか人の祈りそのものみたいで、少し胸に残ります。

👉 芸に生きる人たちが集った場所
かつてこの場所は、とても賑やかだったそうです。

祭りの日には、夜明け前から人が訪れ、夜遅くまで灯りが絶えない。
そんな光景が、関東大震災の頃まで続いていました。

芸能の神として知られ、歌舞伎役者や舞台に立つ人々が足しげく通い、名のある役者たちもここで手を合わせたといいます。

舞台の裏にある、祈りの時間。
その静かな瞬間が、この場所には今も残っている気がします。

ふと立ち寄るだけでも、どこか心が整うような場所。
賑わいの記憶と、静けさが重なり合うこの社で、少しだけ立ち止まってみるのもいいかもしれません。


「本殿」
地元では「牛天神さん」と親しまれている「牛天神 北野神社」は、元暦元年(1184年)に、源頼朝によって創建された歴史ある古社です。
江戸時代には有名な浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」で、唯一の雪景色を描いた名作(1831~1833年頃)「礫川 雪ノ旦(こいしかわ ゆきのあした)」を描いた地が、この神社の境内にあった茶屋ではないか、と考えられています。


「富嶽三十六景・礫川 雪ノ旦」


境内の「桜」
江戸時代に、「水戸黄門」でおなじみの常陸水戸藩主・徳川光圀公から奉納された桜の木だそうです。
当初は5本奉納されたそうですが、この一本の木だけが枯れずに残っているそうです。
境内に彩を与えてくれる貴重な桜の木です。

「水戸黄門」といえば、やっぱり光圀のことを思い浮かべる方が多いですよね。
でも実は、歴代の水戸藩主の中には、光圀のほかにも頼房、綱條、治保、斉脩、斉昭、慶篤といった、中納言・権中納言に任じられた方々がいらっしゃるんです。

なので、「水戸黄門」と呼べる方は、光圀だけではなくて、全部で7人もいらしたことになるんですよ。
ちょっと意外で面白いですよね。

💡 ポイント!
「黄門(こうもん)」というのは、もともと役職の呼び名なんです。
平安時代の官職である「中納言(ちゅうなごん)」の別名で、「黄門侍郎(こうもんじろう)」と呼ばれていたことから、略して「黄門」と言うようになりました。

つまり「水戸黄門」というのは、
👉 水戸藩主で中納言に任じられた人物
という意味になるんですね。

🌸 ご褒美は「満開の桜」!
あの急坂を登った苦労も、境内に足を踏み入れた瞬間に吹き飛びました。
今、境内は桜が満開!
青空に映える淡いピンクの花びらが風に舞って、まさに春爛漫。
「撫でれば願いが叶う」という有名なねがい牛(撫で岩)も、心なしか嬉しそうに見えました。


衝撃の事実!「階段」があったんかーい!
なんとか境内に到着し、無事にお参りを済ませてスッキリした帰り道。
ふと坂の下を見下ろすと……。

「……ん? あの階段、どこに続いてるの?」

なんと、坂の下から境内へ直結する階段があるじゃないですか!
スマホのルート案内を忠実に守りすぎて、最短ルートの階段を完全に見落とし、わざわざ急坂を大回りして登っていたんです(笑)。
これから行く方は、ぜひ視線をスマホから上げて「階段」を探してみてくださいね。


「牛坂の下にある神社入口」
坂の下にあった境内へ直通の階段…………
マップに集中しすぎて気づかんかった💦

⛩️ 参拝後記
道真公も、必死に坂を登ってくる私の姿を見て「真面目なやつじゃのう」と苦笑いしていたかもしれません。
失敗も含めて、とても記憶に残る参拝になりました。
みなさんも、地図を見すぎず、五感(と階段)を信じて、素敵な春の散歩を楽しんでみてください!
2026.04.02 02:33 | comment(0)
【目黒不動尊】江戸最強のパワースポット?目黒不動尊で「心の大掃除」をしてきた!
目黒不動尊(めぐろふどうそん)で御朱印をいただきました。

泰叡山護國院瀧泉寺(たいえいざん ごこくいん りゅうせんじ)
所在地:東京都目黒区下目黒3-20-26
駐車場:なし
アクセス:東急目黒線「不動前駅」より徒歩約15分、JR「目黒駅」より徒歩約20分、JR五反田駅(西口)より東急バス渋谷行(渋72系統)「目黒不動尊境内」下車

「最近、なんだかスッキリしないな……」
そんな時、私が駆け込む場所があります。
それが、目黒区下目黒にある目黒不動尊(瀧泉寺)です。
都内にあるとは思えないほど静寂で、でもどこか活気がある。
今回は、そんな「お不動様」の知られざる魅力をレポートします!

📝 参拝情報
境内への立ち入りは早朝から可能です。
開門時間: 9:00 〜 16:30
本堂への参拝や授与所での対応は上記の時間帯となります。
縁日(毎月28日)
縁日の護摩祈願は10:00、11:30、13:30、15:00、16:30に行われます。

🖌️ 御朱印の種類と納経料
主に以下の3種類があります。
・目黒不動尊
ご本尊である不動明王の御朱印です。
・聖観世音
江戸三十三観音霊場の第33番(結願寺)としての御朱印です。
・山手七福神(恵比寿神)
山手七福神巡りの一つとしての御朱印です。
納経料:1枚 500円
オリジナルの御朱印帳
不動明王や寺紋がデザインされたものが人気です。
価格は概ね1,500円〜2,000円です。
受付時間:9:00 〜 16:30
授与場所:本堂下の受付所(阿弥陀堂付近)でご対応いただけます。


書置きでいただいた御朱印。


圧倒的な迫力の「仁王門」
目黒不動尊の仁王門には、江戸時代の火災にまつわるドラマチックなエピソードがあります。
🔥「火伏せの不動」の象徴
現在の仁王門は昭和初期の再建ですが、江戸時代の旧仁王門は徳川家光が寄進した壮麗なものでした。
江戸時代、目黒一帯は何度も大火に見舞われましたが、この仁王門と本堂だけは不思議と火を免れることが多かったといいます。
これにより、目黒不動尊は

「火伏せ(火災除け)の不動」

として江戸庶民から絶大な信仰を集めるようになりました。

🏹 徳川家光と「鷹狩り」の縁
仁王門を含む伽藍が江戸初期に整備された背景には、家光の愛鷹(あいよう)のエピソードがあります。

家光が目黒で鷹狩りをしていた際、大事な鷹が行方不明になりました。
瀧泉寺の当時の住職に祈祷させたところ、鷹がすぐに見つかったことに感激。

家光はこの縁で荒廃していた寺を再興し、50余棟に及ぶ豪華な伽藍(その入り口が仁王門)を築かせたと伝えられています。

💡 ポイント!
仁王門の鮮やかな朱色は、魔除けの意味があります。
参拝者はまずこの門をくぐることで、心身の穢れを祓い、不動明王の聖域へと入っていく重要な結界の役割を果たしています。


🍀 阿吽(あうん)の仁王像
門に安置されている仁王像(金剛力士像)は、その力強い姿から「病気平癒」の力があると信じられていました。
かつては、自分の体の悪い部分と同じ箇所を仁王像に触れたり、紙を噛んで丸めた「投げ出し(つぶて)」をぶつけて祈願する風習もあり、庶民の切実な願いを受け止める場所でもありました。


「ちょこんと座ってる姿がかわいくて、思わず立ち止まってしまった場所🐸」

📜 ちょっと不思議な由緒
「夢から生まれた不動明王」
東京でも有名なお寺、目黒不動尊(瀧泉寺)。
実はそのはじまりには、少し神秘的で印象的なエピソードが残されています。

■ すべては“一つの夢”から始まった
時は808年。
後に天台宗の僧として知られる円仁 が、比叡山へ向かう途中のこと。
この地で見た夢に、青黒い顔をした恐ろしい姿の神人が現れます。

・右手には剣
・左手には縄

そしてこう告げたそうです。
👉「この地に現れ、魔を鎮め、人々の願いを叶えよう」

目覚めた円仁は、その姿を彫刻し、
👉 これが本尊・目黒不動明王のはじまりとされています。

■ 投げた法具から湧き出た“霊水”
さらに不思議なお話は続きます。
円仁が堂を建てようと決意し、法具のひとつ「独鈷(とっこ)」を投げたところ――

👉 その場所から泉が湧き出しました。

この泉は「独鈷の瀧」と呼ばれ、寺の名前「瀧泉寺(りゅうせんじ)」の由来にもなっています。

■ 将軍にも守られた華やかな時代
その後、江戸時代に入ると、このお寺は大きく発展します。

徳川家光 の庇護を受けて再建され、なんと53棟もの堂宇が立ち並ぶ大寺院に。

その華やかさから、
👉 「目黒御殿」と呼ばれるほどだったそうです。

■ 江戸の人々に愛された“観光スポット”
目黒不動尊は、信仰の場であると同時に、江戸時代の人々にとっては人気の行楽地でもありました。

・「富くじ」が行われるにぎやかな場所
・滝の水で病気平癒を願う信仰
・門前にはお店がずらり

そしてあの有名な落語
👉「目黒のさんま」の舞台にもなっています。

夢から生まれ、奇跡の水に守られ、江戸の人々に親しまれてきたお寺。
目黒不動尊は、今も変わらず静かにその歴史を伝えています。


心臓破りの⁉「男坂」
💦 登りきれば、運気も一気に上昇!?
境内に入ってまず圧倒されるのが、本堂へと続くあの急な石段、通称「男坂」です。
一歩踏み出すたびに足に力が入るこの階段、実はただの通路ではありません。
一段ずつ登ることで、自分の中に溜まった迷いや雑念を振り払う「修行の道」とも言われています。

ちなみに、男坂の脇には緩やかな「女坂」もありますが、あえて男坂に挑戦して、登りきった後に振り返ってみてください。
眼下に広がる境内の景色とともに、なんだか自分の中の「停滞していた運気」がスカッと突き抜けるような、不思議な達成感を味わえるはずです!


本堂へと続く参道の「山王鳥居(さんのうとりい)」
この石鳥居は、本堂へと続く入口。
鳥居は“神様のいる場所と日常を分ける境界”とされていて、くぐることで心を整え、清らかな気持ちでお参りできると言われています。

⛩️ どうしてお寺に鳥居があるの?
この鳥居、よく見るとちょっと変わった形。
実は神様と仏様が一緒に信仰されていた名残で、少し特別な意味を持つ鳥居なんだそうです。

■ 屋根っぽい部分の意味
あの三角の部分は
👉 「神様の空間をより強調する」+「神聖さを高める装飾」
いわば
“ちょっと格式高めの鳥居”みたいなイメージです。

■ 目黒不動尊に鳥居がある理由
目黒不動尊 は
👉 お寺(=仏教)なのに鳥居がある珍しい場所
これは昔の日本が
👉 神様と仏様を一緒に信仰していた(神仏習合)時代の名残
なんです。


豪華絢爛な「大本堂」
ご利益:厄除け・災難除け、縁結び、商売繁盛、学業成就

🎯 江戸っ子が夢を託した「江戸三富」の聖地
男坂を登り切った先、パッと視界が開けた場所に現れるのが、朱色が鮮やかな「大本堂」です。

ここで知っておきたい面白いエピソードが、江戸時代の「ギャンブル(!?)」のお話。実はここ、江戸幕府公認の富くじ(今の宝くじ)が行われていた「江戸三富(えどさんぷ)」の一つだったんです。
当時の江戸っ子たちは、お不動様への信仰はもちろん、「一攫千金」の夢を抱いてこの本堂に詰めかけました。

現在でも、そのパワフルなエネルギーは健在。
本堂の前に立つと、何百年もの間、人々の「願い」や「希望」を受け止めてきた、圧倒的な包容力を感じることができます。

🙏 参拝後記
「厄除け」で有名ですが、実際に行ってみると、ただ厳しいだけでなく、包み込んでくれるような温かさがあるお寺です。
仕事帰りや週末の散歩に、ちょっと欲張って「縁結び」や「金運」までお願いしに行ってみてはいかがでしょうか?
2026.03.23 21:51 | comment(0)
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