一言主神社
一言主神社で直書きの御朱印を頂きました。
2022.05.29参拝

一言主神社は大同4年(809年)大和国葛上郡の葛城一言主神社(現・奈良県御所市)より一言主大神をお迎えして創建されました。
現在鎮座する社から西方に位置する創建の地には、怪光とともに雪中から筍が生えて三岐の竹になったとの伝承があるため「三竹山一言主神社」と称されるようになりました。
現在境内には大黒社、縁結社、香取社・稲荷社などの境内社が鎮座していますが、管理人が参拝した時、旦那が熱中症気味になってしまい本殿しか参拝できませんでした(´;ω;`)

「一言主神社」
茨城県常総市大塚戸町875


「一言主神社社殿」
長禄3年(1459年)に荒廃していた社殿を、下総守谷城主・相馬胤広が再建したと伝わります。

江戸時代初期の万治2年(1659年)頃には、花火と木偶人形の芝居を併せた「葛城流からくり綱火」が行われるようになり、平成11年に「大塚戸の綱火」として茨城県指定無形民俗文化財へ登録されました。
平成25年から例大祭(9月13日)近日の土曜日に行われる「奉祝祭」の最後に披露されるようになり、沢山の方が見物に訪れるそうです。
また、お正月の三ケ日には例年15万人の参拝客が訪れる茨城県有数の初詣スポットです。


頂いた御朱印は正に御朱印という感じの墨書きの字がとてもカッコいい御朱印でした。
2022.08.01 02:34 | comment(0)
八龍神社
天慶年間に創建された雨を司る龍神を祀る社「八龍神社」の御朱印を直書きで拝受しました。
2022.07.07参拝

「八龍神社」
茨城県坂東市生子632


「参道入口の鳥居」
朱色に塗られた木造の両部鳥居の後ろには昭和17年(1942年)に地元の名士・片倉七郎翁により奉納された石鳥居が建立されています。


「拝殿」
平成11年(1999年)に再建された拝殿です。

八龍神社の創建は天慶年間(938年~947年)と伝わります。
この頃、坂東に拠点を置いた平将門による承平天慶の乱が起こり、将門は関東全域を手中に収め新皇と自称して朝廷と対立しました。
天慶3年(940年)2月14日、将門は朝廷の派遣した追討軍との戦で流れ矢が額に刺さり討死してしまいました。
将門は荒地だった坂東の地を豊かにするため馬牧の経営と製鉄による農具の開発などを行って、農民たちと農地の開墾を進めたため農民からの信頼が篤かったとされています。
岩井(茨城県坂東市)に政庁を置いた将門のあとに当地を領した領主によって、農民の支持を集めるために雨を司る神「高闇龗命」を祀る神社が建立されたのかも知れません。
寛文2年(1662年)には下総関宿藩第2代藩主・板倉重郷より社領・七反余歩が年貢免除となる除地として認められました。
享保4年(1719年)神祇権大副・吉田兼敬より正一位八龍神の額面が寄進されたそうです。
吉田家は寛文5年(1665年)7月に江戸幕府が発布した「諸社禰宜神主法度」の中で「無位の社人、白張を着すべし。その他の装束は、吉田の許状をもつてこれを着すべき事。」と記されるほどの権威を持った神道家でした。
このため全国の神職は上京し、吉田家に神道裁許状を求めたため、諸社禰宜神主法度発布後は吉田家がほぼ全ての神社の神職を管理下に置きました。


「拝殿の扁額」
社殿には金色の文字で社号が刻まれた立派な扁額が掲げられています。



「古い社殿」
広い境内には古い社殿が建っていました。
境内社なのか八龍神社の旧社殿なのかはわかりませんでしたが、かなり朽ちている社殿には彩色された豪華な彫刻が施されていました。
このまま朽ち果てさせてしまうのは、なんだか寂しいですね(*‘ω‘ *)


八龍神社の御朱印は沓掛香取神社で頂く事が出来ます。
2022.07.11 23:57 | comment(0)
沓掛香取神社
弘法大師空海が二度も訪れたと伝承、下総結城氏十一代 結城氏朝が社殿を修築した「沓掛香取神社」で直書きの七夕限定御朱印と天満宮・聖徳社の御朱印を拝受しました。
2022.07.07参拝



「沓掛香取神社」
茨城県坂東市沓掛4120-1


「参道入口の石鳥居」
昭和43年(1968年)に建立された石鳥居の前には大きな石灯篭が奉納されています。


「境内入口の二の鳥居」
昭和47年(1972年)に建立された木造の両部鳥居です。


「天満宮」「聖徳社」


「神牛」
境内を入って左側に鎮座する「天満宮」「聖徳社」の脇には菅原道真公ゆかりの神牛の像がありました。
天満宮には菅原道真公、聖徳社には厩戸豊聡耳命(聖徳太子)が祀られています。


「拝殿」
昭和28年(1953年)に造営された拝殿。

沓掛香取神社の創建は不明ですが、伝承によると経津主神の傍系の孫の美計奴都加佐命が創祀したと言われています。
大同2年(807年)と弘仁元年(810年)には弘法大師空海が訪れて、当社裏に十一面観音を勧請し別当香取山金乗院を開山したと伝わりますが、この頃空海は大宰府・観世音寺(福岡県太宰府市)に滞在していたので、この時期に当地を訪れた可能性はないように思います。
正長元年(1428年)には下総結城氏11代当主・結城氏朝が社殿の修築を行って刀剣を奉納したそうです。
享保年間(1716年~1736年)に江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命令で行われた享保の改革で、飯沼の新田開発に着手しましたが、その際に開発事業の成功を当社に祈願して無事に成功したことから本殿が寄進されたそうです。
この本殿は平成4年(1992年)に行われた修繕事業によって往時の美しさを取り戻しているそうですが、拝殿裏にある本殿は覆屋によって保護されていて、その姿を見る事はできませんでした。



御朱印は拝殿の右側を進んだ先の宮司さんのお宅で頂く事が出来ます。
こちらの神社は御朱印の種類も豊富で多くの参拝者が御朱印を求めて並んでいました。
管理人は七夕限定御朱印と天満宮・聖徳社の御朱印を直書きで頂きました。


直書きで頂いた七夕限定御朱印
笹のデザインがとってもステキです(^^♪

2022.07.09 23:49 | comment(0)
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御朱印集め初心者夫婦が自由気ままに御朱印巡りをしています。

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