日本三景のひとつ「安芸の宮島」にある厳島神社で御朱印と御朱印帳を拝受しました。

【厳島神社】広島県廿日市市宮島町1-1
日本を代表する海上神社。海に浮かぶように見える大鳥居と回廊式の社殿で知られ、世界遺産(ユネスコ)にも登録されています。

宮島にある厳島神社は、推古天皇元年(593年)創建と伝わる海上神社で、平清盛によって現在の壮麗な社殿が整えられました。
海に浮かぶ大鳥居と寝殿造の回廊が特徴で、潮の満ち引きによって表情を変える景観はまさに絶景。宗像三女神を祀り、日本三景「安芸の宮島」としても知られる世界遺産の名所です。

戦国武将にとって厳島神社は単なる信仰の場ではなく、瀬戸内海の制海権と権威を象徴する“政治的拠点”でもありました。
海上交通の要衝に位置するため、この地を押さえることは経済・軍事の両面で極めて重要だったのです。

1555年、毛利元就は厳島の地形と潮の満ち引きを利用し、陶晴賢を破る奇襲戦「厳島の戦い」に勝利。この戦いを契機に毛利氏は中国地方の覇者へと躍進した。
厳島は信仰の地であると同時に、戦国の知略がぶつかった舞台でもある。

●厳島の戦いとは?
年:1555年(弘治元年/天文24年)
場所:安芸・厳島(宮島)
結果:毛利元就の圧勝
兵力差はなんと👇
毛利軍:約4,000
陶軍:約20,000
👉 普通なら勝てない戦
元就の戦略はシンプル👇
① わざと弱そうな城を作る
② 敵を島に誘い込む
③ 退路を断つ
④ 夜襲で壊滅
👉 完全に“罠”
🏯 ステップ①:宮尾城でエサを撒く
元就は宮島の対岸に「宮尾城」を築きます。
しかしこれは本気の城ではなく落とせそうに見える城
これにより陶軍は「攻めれば勝てる」と判断。
👉 この時点で元就の勝ち筋が見えている
🌊 ステップ②:敵を厳島へ誘導
陶晴賢は大軍で宮島に上陸。
でもこれが致命的👇
👉 島=逃げ場なし
👉 撤退=船頼み
つまり
👉 入った時点で詰み始めている。
🌧️ ステップ③:嵐の夜に奇襲
決行は暴風雨の夜。
視界最悪
指揮系統崩壊
混乱状態
そこに毛利軍が裏から上陸し奇襲。
👉 完全にパニック状態へ
⚰️ ステップ④:陶軍壊滅
陶軍は総崩れ
陶晴賢は自害
👉 約20,000の軍が壊滅
🧠 なぜ元就は勝てたのか?
✔ 地形を利用
島=包囲できる
山=奇襲可能
海=逃げにくい
✔ 心理戦
弱そうに見せる
油断を誘う
✔ タイミング
嵐の日を狙う
👉 戦術+心理+自然のフル活用
🙏 神の島で戦うという異常性
厳島は神の島、普通は戦わない。
しかし元就は「だからこそ油断する」と読んだ。
さらに戦後は神社を修復。
👉 信仰と戦略を両立した武将
⚔️ 戦国好き視点まとめ
厳島の戦い=奇襲戦の完成形
毛利元就=戦術チート
陶晴賢=判断ミスで敗北
👉 一言で言うと
「戦場を選んだ時点で勝負は決まっていた」
📍 実際に行くと分かること
現地に立つとわかる👇
「これ逃げられないな…」という地形、海と山に囲まれた閉鎖感。

この回廊、実は戦のときは逃げ場がない構造になっている。

この静けさの景色も、かつては戦の舞台。
毛利元就がこの島で勝負を決めたとは思えないほど、穏やかな時間が流れている。

空の青さが厳島神社の朱色を際立たせている。

海に浮かぶように見える大鳥居、干潮時は歩いて近くまで行ける。

手書きでいただいた御朱印。

御朱印帳も拝受しました。