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大稲荷神社
大稲荷神社で4社の御朱印を頂きました。
参拝日:2020.12.14
「大稲荷神社」
神奈川県小田原市城山1ー22ー1
参道には銀杏の葉が黄金色の絨毯のように落ちていました。
「大稲荷神社拝殿」
甲斐武田氏の家臣であった曲淵吉景が武田氏滅亡後に武川衆の一員として500石の俸禄をもって徳川家康に召し抱えられ、小田原北条氏統治時代の天正10年(1582年)に修験者が建立した修験堂に稲荷大明神をお祀りした事が大稲荷神社の始まりと伝わります。
天正壬午の乱頃に徳川家臣となった曲淵氏が修験堂に稲荷大明神をお祀りした時期については定かな記録はないようです。
大稲荷神社略年表では曲淵氏が修験堂に稲荷大明神をお祀りした時期を天正10年(1582年)~天正17年(1589年)の間としていますが、この頃旧竹ノ花地区は小田原北条氏の領地であり、北条氏本城・小田原城の目と鼻の先に徳川家の領地があったとは考えられません。
管理人は天正18年(1590年)の北条氏滅亡後、徳川家が関東移封となってから、小田原城主に任じられた重臣・大久保忠世の配下に組み込まれた曲淵氏が旧竹ノ花地区を知行地として与えられ修験堂に稲荷大明神をお祀りしたのではないかと考えています。
その後、城主・大久保忠世も小田原城に近かった当社に篤く崇敬していた京都伏見稲荷大社の田中大神を合祀させたのではないでしょうか?
これは管理人の浅はかな推測ではありますが、歴史は自分なりに色々と空想(想像)するのも楽しみの一つでもありますね。
大稲荷神社境内に鎮座する「愛宕神社」
大稲荷神社境内に鎮座する「田中稲荷社」
天正18年(1590年)小田原城主・大久保忠世が京都伏見稲荷大社の田中大神を合祀したそうです。
「大稲荷神社」の御朱印
「愛宕神社」の御朱印
「田中稲荷社」の御朱印
「錦織神社」の御朱印
御朱印は書置きで4社頂けました。
初穂料はそれぞれ500円でした。
2020.12.21 12:04 |
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