八龍神社
天慶年間に創建された雨を司る龍神を祀る社「八龍神社」の御朱印を直書きで拝受しました。
2022.07.07参拝

「八龍神社」
茨城県坂東市生子632


「参道入口の鳥居」
朱色に塗られた木造の両部鳥居の後ろには昭和17年(1942年)に地元の名士・片倉七郎翁により奉納された石鳥居が建立されています。


「拝殿」
平成11年(1999年)に再建された拝殿です。

八龍神社の創建は天慶年間(938年~947年)と伝わります。
この頃、坂東に拠点を置いた平将門による承平天慶の乱が起こり、将門は関東全域を手中に収め新皇と自称して朝廷と対立しました。
天慶3年(940年)2月14日、将門は朝廷の派遣した追討軍との戦で流れ矢が額に刺さり討死してしまいました。
将門は荒地だった坂東の地を豊かにするため馬牧の経営と製鉄による農具の開発などを行って、農民たちと農地の開墾を進めたため農民からの信頼が篤かったとされています。
岩井(茨城県坂東市)に政庁を置いた将門のあとに当地を領した領主によって、農民の支持を集めるために雨を司る神「高闇龗命」を祀る神社が建立されたのかも知れません。
寛文2年(1662年)には下総関宿藩第2代藩主・板倉重郷より社領・七反余歩が年貢免除となる除地として認められました。
享保4年(1719年)神祇権大副・吉田兼敬より正一位八龍神の額面が寄進されたそうです。
吉田家は寛文5年(1665年)7月に江戸幕府が発布した「諸社禰宜神主法度」の中で「無位の社人、白張を着すべし。その他の装束は、吉田の許状をもつてこれを着すべき事。」と記されるほどの権威を持った神道家でした。
このため全国の神職は上京し、吉田家に神道裁許状を求めたため、諸社禰宜神主法度発布後は吉田家がほぼ全ての神社の神職を管理下に置きました。


「拝殿の扁額」
社殿には金色の文字で社号が刻まれた立派な扁額が掲げられています。



「古い社殿」
広い境内には古い社殿が建っていました。
境内社なのか八龍神社の旧社殿なのかはわかりませんでしたが、かなり朽ちている社殿には彩色された豪華な彫刻が施されていました。
このまま朽ち果てさせてしまうのは、なんだか寂しいですね(*‘ω‘ *)


八龍神社の御朱印は沓掛香取神社で頂く事が出来ます。
2022.07.11 23:57 | comment(0)
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