【山王山東昌寺】戦国乱世の記憶を刻む|古河公方の重臣・簗田氏ゆかりの古刹を訪ねて
山王山東昌寺で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.15

「六国峰山王山東昌禅寺」
所在地:茨城県猿島郡五霞町山王山827-1
駐車場:あり(無料)
アクセス:東武日光線「南栗橋駅」から約5.7km、朝日自動車バス「西谷」バス停より徒歩約20分

茨城県の南西端、利根川と江戸川に囲まれた五霞町。
この静かな町に、戦国時代の熱い歴史を今に伝える古刹があります。
それが今回ご紹介する六国山 東昌寺です。

■関宿城主・簗田氏の菩提寺としての歩み
東昌寺の歴史を語る上で欠かせないのが、室町・戦国時代にこの地を治めた有力豪族、簗田(やなだ)氏です。
東昌寺は15世紀中頃、関宿城(現在の千葉県野田市)を拠点とした簗田氏の菩提寺として建立されました。
簗田氏は、関東の足利将軍家である「古河公方」の筆頭重臣として活躍した一族です。
東昌寺は、その一族の精神的支柱として、乱世の中で重要な役割を果たしてきました。


[楼門]
元禄3年(1690年)本堂新築に伴い、関宿城主・牧野成貞の妻より寄進されたそうで、楼門の天井に描かれた龍は、狩野派の流れを汲む絵師の作と伝わります。


「鐘楼堂」

■時代を見守ってきた至宝
境内に響く鐘の音も、実は大変貴重な歴史の証人です。
境内にある梵鐘は、元亨元年(1321年)に下野国(現在の栃木県)の鋳物師によって制作されたものと伝えられています。
中世の鋳造技術を今に伝える貴重な資料として、茨城県指定文化財に登録されています。


「本堂」

■東昌寺について
永享元年(1429年)即庵宗覚が下総国葛飾郡山王山に立ち寄り、夜に座禅をしていると老人が現れ、二人は問答を繰り返したそうです。
最後に老人は山王権現である事を即庵に明かし、自らは下総国・武蔵国など周辺六国を守護する事を誓い、即庵にこの地に留まるように求めると立ち去りました。
即庵は山王権現の求めに応じて山王山に「山王山六国寺」を建立しました。

嘉吉元年(1441年)鎌倉公方・足利持氏家臣・簗田持助が永享11年(1439年)に亡くなった父・簗田満助の菩提を弔うため諸堂を再造営、満助の法号より寺号を「東昌寺」に改称したとされます。
文明8年(1476年)古河公方足利氏の家臣で下総国水海城主・簗田持助が寄進した梵鐘が現在も残されています。

■北条氏照も滞在した?
永禄11(1568年)頃、栗橋城を接収した北条氏照が関宿城を攻める際、付城(敵の城を包囲し、兵糧攻めにする目的で築かれた一時的な陣城)として築いた不動山城(場所不明)と山王山城があります。
この山王山城こそが、東昌寺を中心に要塞化して築かれた城と考えられ、境内の周囲には土塁跡や堀の跡が残っています。
戦国時代に寺院が陣城や砦として使用されることは、決して珍しいことではありませんでした。
寺院は高台にあることが多く、建物や石垣、周囲の地形(堀や崖)が防御施設としてそのまま利用できたため、短期間で強力な拠点に改修できたので好都合だったのです。
もしかしたら北条氏照も、この山王山城に滞在していたかもしれませんね。


本堂に掲げられた古い扁額

■家康公ゆかりの伝説と「檜御扇子」
戦国が終わり江戸の世が始まる際にも、東昌寺は歴史の表舞台に登場します。
徳川家康がこの地を訪れた際に東昌寺に宿泊したという伝承が残っています。
寺には、家康公から贈られたとされる「東照神君檜御扇子(とうしょうしんくんひのきごせんす)」が町指定文化財として大切に保管されています。


ご住職より直書きで拝受した御朱印。
ご住職はとても気さくな方で私達夫婦を堂内にお招き下さり奥様がお茶を振舞って下さいました。
納経料は決まっていませんがお気持ちで1000円を納めさせて頂きました。

■歴史の息吹を感じる静かなひととき
かつて関宿城を中心とした北関東の覇権争いを見守り、徳川幕府の黎明期をも繋いできた東昌寺。
現在は、のどかな田園風景の中に佇む静かなお寺ですが、一歩境内に足を踏み入れれば、古河公方を支えた武士たちの情熱や、家康公が歩いた時代の空気を感じることができます。
歴史ファンならずとも、五霞町を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみたい、深みのあるスポットです。


ご住職が半紙に書いて下さったものを額に入れて飾っています。
2023.05.18 18:16 | comment(0)
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