三縁山増上寺
増上寺で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.17

9世紀、真言宗の開祖・弘法大師空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚に建立した光明寺が増上寺の前身だと伝わります。
明徳4年(1393年)浄土宗第八祖酉誉聖聡の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めました。
徳川将軍家の菩提寺となってからは関東十八檀林の筆頭となるなど、大いに隆盛しました。

大本山増上寺(三縁山広度院増上寺)
港区芝公園4-7-35
🅿️なし


「大門」


「重要文化財になっている三解脱門」


朱塗りの三門は迫力満点


「鐘楼堂」
寛永10年(1633)年の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものだそうす。
梵鐘は延宝元年(1673年)に七度の鋳造を経て完成したもので、江戸三大名鐘の一つに数えられている東日本最大級の大梵鐘です。


「大殿」
昭和49年(1974年)に再建された本堂は、首都圏では最大級の御堂です。


「大殿」
一階に檀信徒控室、二階に本堂、三階に道場、地下には増上寺宝物展示室があります。


「安国殿」
戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂として使用されていましたが、大殿完成の折りに境内北側に移転し、御堂「安国殿」としました。
徳川家康が戦に携えていた勝運の仏様「黒本尊」が安置されています。


直書きで拝受した御朱印
徳川家康所縁の秘仏「黒本尊」を頂きました。


こちらは書置きで頂いた「安国殿」の御朱印
2023.05.19 00:32 | comment(0)
山王山東昌寺
山王山東昌寺で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.15

「六国峰山王山東昌禅寺」
茨城県猿島郡五霞町山王山827-1


[楼門]
元禄3年(1690年)本堂新築に伴い、関宿城主・牧野成貞の妻より寄進されたそうで、楼門の天井に描かれた龍は、狩野派の流れを汲む絵師の作と伝わります。


「鐘楼堂」


「本堂」

東昌寺について
永享元年(1429年)即庵宗覚が下総国葛飾郡山王山に立ち寄り、夜に座禅をしていると老人が現れ、二人は問答を繰り返したそうです。
最後に老人は山王権現である事を即庵に明かし、自らは下総国・武蔵国など周辺六国を守護する事を誓い、即庵にこの地に留まるように求めると立ち去りました。
即庵は山王権現の求めに応じて山王山に「山王山六国寺」を建立しました。

嘉吉元年(1441年)鎌倉公方・足利持氏家臣・簗田持助が永享11年(1439年)に亡くなった父・簗田満助の菩提を弔うため諸堂を再造営、満助の法号より寺号を「東昌寺」に改称したとされます。
文明8年(1476年)古河公方足利氏の家臣で下総国水海城主・簗田持助が寄進した梵鐘が現在も残されています。


本堂に掲げられた古い扁額


ご住職より直書きで拝受した御朱印。
ご住職はとても気さくな方で私達夫婦を堂内にお招き下さり奥様がお茶を振舞って下さいました。
納経料は決まっていませんがお気持ちで1000円を納めさせて頂きました。


ご住職が半紙に書いて下さったものを額に入れて飾っています。
2023.05.18 18:16 | comment(0)
幸宮神社
幸宮神社で御朱印を頂きました。
参拝日:2023.05.15

「幸宮神社」
埼玉県幸手市中4-11-30


幸宮神社の創立年代はは不明ですが、奉納品の中に元禄12年(1699年)3月吉日と記されたものがあり、それ以前にはあった事が推測できます。
日光街道と御成街道が交わる幸手宿の総鎮守として広く崇敬されてきたそうです。


書置きで拝受した御朱印
2023.05.17 17:54 | comment(0)
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