三嶋大社
三嶋大社で御朱印帳と直書きの御朱印を拝受しました。
参拝日:2020.12.14

慶応3年(1867年)に建てられた三嶋大社神門は三島市指定文化財になっています。

「三嶋大社」
静岡県三島市大宮町2-1-5
有料駐車場あり


「本殿」
慶応2年(1866年)に竣功、伊豆を代表する名工・小沢半兵衛・希道一門による彫刻が施された総けやき素木造りの三嶋大社本殿は国指定重要文化財になっています。

三嶋大社の創建時期については不明です。
鎌倉時代に編纂された歴史書「吾妻鏡」によれば治承4年(1180年)、伊豆に流罪となっていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平氏打倒の挙兵直前に側近の安達盛長に命じて三嶋社へ戦勝祈願のため奉幣し、8月には伊豆北条氏の助けによって伊豆国主・平時忠の目代・山木兼隆を討ち取りました。
その後も頼朝は三嶋社を篤く崇敬し、度々神領を寄進し、神馬・剣の奉納も行なったそうです。


「舞殿」
慶応3年(1867年)に建てられた舞殿にも名工・小沢半兵衛・希道一門による彫刻が施されており、三島市指定文化財となっています。


拝受した大判の御朱印帳


直書きで頂いた御朱印、客殿にて拝受できます。
2020.12.16 10:11 | comment(0)
沼津日枝神社
沼津日枝神社で御朱印帳と直書きの御朱印を頂きました。
参拝日:2020.12.13

「山王宮 沼津日枝神社」
静岡県沼津市平町7-24
無料駐車場あり


拝殿

嘉保2年(1095年)河内源氏2代棟梁・源頼義の次男だった源義綱が、美濃の延暦寺荘園領を宣旨によって収公した際、抵抗する延暦寺と日吉社の僧兵を殺害するという事件が起りました。
義綱の主君は関白・藤原師通でしたが、義綱の流罪を求める延暦寺・日吉社の強訴を拒絶し大和源氏の源頼治を派遣して延暦寺・日吉社の僧兵を武力で撃退しました。
この時、頼治配下の軍勢が放った矢が日吉神社の神輿を射て、山僧・神人にも負傷者が出たため延暦寺・日吉社の逆鱗に触れ、両寺社は訴えを拒絶した師通を呪詛にかけました。
承徳3年(1099年)師通は悪瘡を患い38歳で急死すると延暦寺は「神罰が下った」と喧伝しました。
神罰を恐れた朝廷は、頼治を佐渡国へ流罪とし、関白・藤原師通の荘園だった当地に日吉社の分霊を勧請して創建された神社が沼津日枝神社の起源となりました。


社殿がデザインされたパステルカラーの御朱印帳


直書きの御朱印は字体がとても素敵でした。
2020.12.15 16:06 | comment(0)
冨士浅間神社(東口本宮)
冨士浅間神社(東口本宮)で書置きの御朱印を頂きました。
参拝日:2020.12.13

「富士山東口本宮 冨士浅間神社」
静岡県駿東郡小山町須走126
無料駐車場あり


参道に建つ石鳥居の扁額には「不二山」と記されています。


手水舎と神門


境内案内板

延暦21年(802年)富士山東脚が噴火したため、富士山東面・須走の地に斎場を設けて鎮火の祈願を執り行いました。
大同2年(807年)に斎場跡地に神様をお祀りし当社が創建されたと伝わります。
創建間もなく真言宗の開祖・佐伯眞魚(弘法大師・空海)が修行をし富士登山をした伝承もあるそうですが、この頃の空海は九州・筑前国の大宰府にいた記録や、その後数年は京都・奈良地域での活動が主だった事から事実ではないと考えられます。


神門
美しい朱色の神門は壮大で迫力満点です。
神門の先に社殿があり御朱印もここで頂く事ができます。
初穂料はお賽銭箱に入れます。
社殿前では神事が行われていたため写真を撮る事ができませんでした。


拝受した御朱印


駐車場から見た富士山
富士の高嶺に雪は積もらず・・・12月だというのに暖冬のため裸富士でした。
2020.12.14 15:00 | comment(0)
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御朱印集め初心者夫婦が自由気ままに御朱印巡りをしています。

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