【寛永寺上野大仏】戦乱供養から合格祈願へ―上野大仏の変遷
上野大仏の御朱印を頂きました。
参拝日:2023.07.14

「東叡山寛永寺上野大仏」
東京都台東区上野公園4-8

上野大仏が「落ちない大仏」と呼ばれる理由
上野公園の一角、寛永寺の境内にひっそりと佇む上野大仏。
一見すると少し不思議な姿をしていますが、その理由を知ると、この場所の見え方が変わってきます。

上野大仏はもともと、江戸時代初期に建立された大きな釈迦如来像でした。
しかし、その後の長い歴史の中で、関東大震災や戦災などの影響を受け、徐々に損壊していきます。

そして最終的に残ったのが、現在の「顔」の部分だけ。

この“落ちてもなお残った顔”という姿から、
いつしか「これ以上落ちない大仏」として知られるようになりました。


「パゴダ薬師堂」
大仏殿の跡地に建立された薬師堂、薬師三尊像がお祀りされています。


寛永8年(1631年) 越後村上藩主・堀直寄により「戦乱の犠牲者を弔い、世の中の平和を願うため」に建立されました。
元は高さ6メートルもある座像でしたが、度重なる罹災により何度も損壊、胴体部分も第二次大戦の際、勅令で制定された金属類回収令により供出されて、現在は顔だけのお姿となってしまいました。
「これ以上落ちない」という意味で「合格祈願」の大仏様として、たくさんの受験生が祈願に訪れています。

■戦没者供養としての側面
また、上野大仏は単なる観光スポットではなく、もともとは戦死者供養の意味合いも持って建立された仏像です。
上野という土地自体が、江戸時代から戦いや歴史の舞台となってきた場所。
そうした背景を思うと、この大仏はただ「落ちない」だけではなく、多くの人々の祈りや鎮魂を受け止めてきた存在でもあると感じます。


直書きで頂いた御朱印、奉納料は500円でした。
2023.07.30 16:24 | comment(0)
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