【本土寺】あじさい寺で歴史散歩と御朱印巡り|仁王様の足が想像以上だった件
長谷山 本土寺(ちょうこくざん ほんどじ)でご首題と御朱印をいただきました。
本土寺
📋 基本情報
[長谷山 本土寺]
所在地:千葉県松戸市平賀63
駐車場:あり
アクセス:JR常磐線「北小金駅」北口から徒歩で約10分

📝 参拝情報
参拝時間
通常:5:00〜17:00(閉門)
有料参拝期間(6月・11月など):9:00〜16:30(最終受付 16:00)
参拝料
大人(中学生以上):500円
小学生以下:無料
障害者:300円(手帳提示)
※花の開花状況や紅葉の見頃に合わせた期間以外は、基本的に無料で参拝できます。
見頃の時期
花菖蒲:6月上旬
あじさい:6月中旬〜下旬
紅葉:11月下旬〜12月上旬

🖌️ 御朱印の種類と志納料
初穂料:500円
季節限定御朱印:500円(あじさい・花菖蒲・紅葉などの図柄が入った限定デザインがあります)
御朱印帳:あり(紅葉デザインなど 1,000円)
日蓮宗の寺院であるため、通常の御朱印のほかに、お題目帳(御首題帳)をお持ちの方は、お題目(南無妙法蓮華経)を記した「御首題」をいただくことも可能です。
受付時間:9:00〜16:00
授与場所:境内奥にある寺務所でご対応いただけます。


千葉県松戸市にある 本土寺。
「あじさい寺」として有名ですが、実際に歩いてみると、そこにあるのは花だけではありません。

赤門から始まり、仁王像の迫力、静かに佇む塔頭、歴史を刻む門や堂宇――
境内を一歩進むごとに、鎌倉時代から続く時間の積み重ねを感じることができます。

さらに面白いのは、ただ古いだけではなく、時代ごとに形を変えながら“今も生きているお寺”だということ。

今回は御朱印巡りをしながら、そんな本土寺の見どころを、ちょっとしたエピソードや歴史と一緒にじっくり歩いてみました。

――ただの観光では終わらない、本土寺の魅力をお届けします。

本土寺御朱印
「いただいた直書きのご首題」

本土寺御朱印帳
「紫陽花と金の箔押しの三つ葉葵紋がデザインされたお題目帳」
お題目をお書入れいただき、1.500円でした。

本土寺御朱印
「直書きでいただいた通常御朱印」
こちらは宗派関係なく、一般の御朱印帳(納経帳)にお書入れいただけます。

本土寺仁王門
立派な朱塗りの仁王門――通称「赤門」
この門、ただの入口だと思ったらちょっともったいない。
よく見ると左右には仁王像が安置されていて、まさに“結界”。
ここをくぐる瞬間、日常から少し離れて、歴史の中に足を踏み入れるような感覚になります。

本土寺仁王門
掲げられた「長谷山」の扁額
実は本土寺の正式な山号で、鎌倉時代の開山以来の由緒を今に伝えています。
本土寺は建治3年(1277年)、日蓮宗の僧・日朗上人によって開かれたとされ、あの 日蓮 の教えを受け継ぐ由緒あるお寺なんです。

ちなみにこの赤門、見た目の華やかさとは裏腹に、どこか“守り”の雰囲気が強いのが特徴。
実際、江戸時代には地域の信仰の中心として、人々の心の拠り所になっていました。
今でいう「パワースポット」の先駆けみたいな存在ですね。

ちょっと面白い話をひとつ。
本土寺は「あじさい寺」として有名ですが、実は紅葉もかなりの名所。
つまり――
「梅雨も秋も強い、二刀流の寺」
…これはなかなか珍しいタイプです。

御朱印をいただく前に、この門で一呼吸。
写真を撮るのもいいですが、ぜひ一度立ち止まって見上げてみてください。
木々に囲まれた赤門が、まるで「ようこそ」と迎えてくれているように感じられます。
この一歩目の体験が、その後の参拝や御朱印巡りをぐっと特別なものにしてくれますよ。

本土寺仁王像
本土寺仁王像
💪 迫力ある「金剛力士像」
仁王門をくぐると、まず出迎えてくれるのが迫力満点の仁王像。
ガラス越しでも十分に伝わるこの威圧感、
「これは悪いこと考えてたら即バレるやつだな…」と、思わず背筋が伸びます。

この仁王様、正式には「金剛力士像」といい、仏教世界への入口を守る守護神。
口を開けた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の二体で一対になっていて、「あ・うん」で宇宙の始まりと終わりを表しているんです。
つまり――
ここを通る時点で、すでに“結界チェック”は完了しているわけですね。

そして今回、ちょっと珍しい体験ができました。
なんと仁王像の足元にある小さな扉が開いていて、普段は見えない“足元”を間近で拝見!

これがもう、とにかくデカい。
いや本当にデカい。

写真で見ると分かるんですが、指一本一本がまるで木の根っこみたいに力強くて、
「この足で踏み込まれたら煩悩ごと粉砕されそう…」というレベル。
思わず自分の足と見比べてしまいましたが、完全に別カテゴリの存在でした(笑)

実は仁王像の足には、しっかりと地面を踏みしめることで「邪気を封じる」という意味があります。
つまりこの巨大な足は、見た目のインパクトだけでなく――
参拝者を守る“見えないバリア”の象徴でもあるんですね。

鎌倉時代に創建された 本土寺 は、長い歴史の中で多くの人々の信仰を集めてきました。
こうした仁王像もまた、時代を超えて「守る」という役目を果たし続けている存在です。

御朱印をいただく前に、この仁王様の足元にもぜひ注目してみてください。
もし運よく扉が開いていたら――それはちょっとした“ご利益チャンス”かもしれません。

本土寺塔頭「佛持院」
本土寺の境内にある塔頭「佛持院」
赤門をくぐって少し進むと、ふと現れる落ち着いた佇まいのお堂。
ここが本土寺の塔頭、 佛持院 です。

正直に言うと、最初は「ちょっと立派なお堂だな」くらいに思って通り過ぎそうになりました。
でも、これがなかなかの“歴史の生き残り”。

佛持院は応永元年(1394年)、日覚上人によって開かれた古刹。
そしてかつて本土寺には「4院6坊」と呼ばれる多くの塔頭が立ち並び、かなりの規模を誇っていたそうです。

ところが時代の流れとともにその多くは姿を消し――
現在まで残ったのは、この佛持院ただ一つ。

そう思って改めて見ると、この静かな空間がちょっと違って見えてきます。
観光客で賑わう境内の中にあって、ここだけ時間の流れがゆっくりしているような、不思議な感覚。

戦国時代好きとしては、こういう「生き残り」ってグッときませんか?
いわば佛持院は、本土寺の“最後の砦”。
かつての賑わいを知る唯一の存在が、今も静かにそこにあるわけです。

御朱印巡りで訪れると、どうしてもメインのお堂に目が行きがちですが、
こういう脇にある歴史スポットにこそ“通な楽しみ方”が隠れています。

ちょっと足を止めて、かつての「4院6坊」に思いを馳せてみる――
そんな時間も、本土寺の魅力のひとつかもしれません。

💡 塔頭(たっちゅう)とは?
大寺院の敷地内にある個別の坊や脇寺のことです。
もともとは高僧の徳を慕い、墓塔を守るために建てられた寮舎が始まり。
「塔」は高僧の墓を指し、その「頭(ほとり=近く)」に位置することから「塔頭」と名付けられました。

本土寺境内
🌄 清々しさが感じられる「境内」
境内を進み、ふと本堂の方へ目を向けると広がるこの景色。
背後に高い建物もなく、空と緑に包まれたその姿は、どこか時間が止まったような静けさを感じさせてくれます。

こういう場所に立つと、つい思ってしまうんです。
「これ、昔の人もほぼ同じ景色を見てたんじゃないか?」と。

もちろん細かい建物の配置や木々は変わっているはずですが、
少なくとも“空の広さ”や“山の気配”は、鎌倉時代や室町時代と大きくは変わっていないはず。

本土寺 は1277年創建。
つまりこの場所には、約750年の時間が積み重なっています。
戦国好きとしては、ここでちょっと妄想が捗ります。
もしかすると戦国時代、武士や僧たちも同じようにこの本堂を見上げながら、戦の無事や家の繁栄を祈っていたのかもしれません。

そして現代。
スマホ片手に写真を撮っている自分が、その延長線上にいると思うと、なんだか不思議な気分になります。

派手な見どころではないかもしれませんが、この“変わらない景色”こそが、本土寺の一番の魅力かもしれません。
ぜひ一度立ち止まって、何百年も前の人たちと同じ目線で、この本堂を眺めてみてください。

本土寺「五重塔」
🍁「五重塔」
境内を歩いていると、ひときわ目を引く朱塗りの五重塔。
思わず「おお…」と声が出てしまう存在感です。

この五重塔、実は見た目の美しさだけじゃありません。
平成三年(1991年)、日像 菩薩の六百五十遠忌を記念して建立された比較的新しい建物なんです。

高さは約18メートル。
下から見上げると、層ごとに張り出した屋根が重なり合って、まるで空に吸い込まれていくような感覚になります。

そして驚きなのが中身。
この塔の内部には、なんとインドのネール首相から贈られた「真仏舎利」が納められているとのこと。
つまりこれは――ただの記念塔ではなく、「仏教的にもかなり特別な存在」なんです。

さらに内部には千体仏も祀られているそうで、外からは想像できないほど“中身が濃い”。
例えるなら、見た目はクールなのに中身は超パワフルな武将タイプですね(笑)

本土寺 の歴史は鎌倉時代に始まりますが、この五重塔のように現代になっても新たな信仰の形が加わり続けています。

古さと新しさが同居しているのも、このお寺の面白いところ。
その中に納められた“とてつもないもの”に思いを馳せると、ただの景色が一気に特別なものに変わります。

本土寺「鐘楼」
🔔「鐘楼」
五重塔のすぐ隣に、ひっそりと佇む鐘楼。
派手さはないものの、どこか落ち着いた存在感があって、思わず足を止めてしまいます。

こういう配置を見ると、ちょっと面白いことに気づきます。
視線を上げれば空へ伸びる五重塔、そしてその隣には静かに時を刻む鐘楼――
まるで「動」と「静」が並んでいるような絶妙なバランスです。

そしてこの鐘楼、見た目以上に“中身がすごい”。
梵鐘には建治四年(1278年)の鋳造銘があり、なんと県内で二番目に古い鐘とされています。

……いや、本土寺すごくないですか?
創建(1277年)のほぼ直後に作られた鐘が、今も伝わっているわけです。

さらにこの梵鐘、昭和52年(1977年)には国の重要文化財に指定。
現在は宝物殿に大切に保管されているため、ここにあるのは実物ではありませんが――
むしろそれだけ“本物が貴重すぎる”ということ。

本土寺 の境内は、こうして一見控えめな場所にも、とんでもない歴史が詰まっています。
五重塔の迫力を味わったあとに、この鐘楼で一息つく。
そんな流れもおすすめです。

本土寺「本堂」
🏯「本堂」
境内の中心に堂々と構える本堂。
近くまで来ると、その重厚な造りと落ち着いた雰囲気に、自然と背筋が伸びます。

この本堂、実はなかなかドラマのある建物です。
建立されたのは慶安四年(1651年)。
小金城主一族に連なる恵了院日修が、亡き娘の菩提を弔うために造立したと伝えられています。
つまりこの建物、もともとは“祈りの結晶”、一人の父の想いから始まっているんです。
込められた“祈りの歴史”を感じると、参拝の時間がぐっと深いものになります。

さらに面白いのが、その後の変遷。
もともとは祖師堂として建てられたものが、明治15年の宗祖六百遠忌の際に現在の場所へ移され、本堂へと役割を変えます。
そして昭和52年、宗祖七百遠忌のタイミングで大きく拡張され、現在の姿になりました。

こうして見ると――
この本堂、ただ“古い建物”ではなく、
「時代ごとに役割を変えながら生き続けてきた存在」なんです。

本土寺 の歴史は鎌倉時代から続いていますが、その中でもこの本堂は「人の想い」と「時代の節目」を何度も受け止めてきた場所。
戦国好き的に言うなら、一度きりの役目で終わるのではなく、何度も“再編成”されながら最前線に立ち続ける城みたいな存在ですね。

本土寺「秋山夫人の墓」
🥀 徳川家康の側室「秋山夫人の墓」
本堂脇に、徳川家康の側室・秋山夫人(下山殿)の墓所があります。
色鮮やかな花々に囲まれたこの場所には、戦国時代を懸命に生きた一人の女性の物語が眠っています。

🌸 歴史の余韻を感じる場所――秋山夫人の物語
彼女は、武田信玄に仕えた名門・秋山氏の血を引き、激動の戦国時代を歩みました。

武田家の家臣・秋山虎康の娘として生まれた彼女は、武田一門である穴山信君の養女となり、後に徳川家康の側室となりました。

武田家の滅亡、そして本能寺の変という激動の中、彼女は家康との間に五男・万千代(武田信吉)を産みます。
この誕生は、一度途絶えかけた名門「武田」の名跡を未来へ繋ぐという、大きな役割を担うものでした。
その後、武田の名跡を継いだ信吉は、天正18年(1590年)に徳川家康の関東移封に従って下総国小金城3万石の城主となりました。
天正19年(1591年)10月6日、秋山夫人はそれを見届けたかのように24歳の若さで亡くなったそうです。

本土寺の門前に葬られていましたが、死後93年を経て、甥にあたる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)の手によって現在の立派な墓石が建てられました。

御朱印巡りや花鑑賞の合間に、ぜひこの場所へ立ち寄ってみてください。
そこには、教科書には載らない、一人の女性が繋いだ歴史の息吹が今も静かに流れています。

本土寺朗師門
「朗師門(ろうしもん)」
菖蒲池から妙朗堂へ向かう途中、ひっそりと現れるこの趣ある門。
思わず通り過ぎてしまいそうですが、実はここ――かなり“渋い名スポット”です。

正式名称は「開山門(かいざんもん)」。
しかし地元では「朗師門」という名前で親しまれています。

この通称の由来がまた面白い。
本土寺二代目住職・日伝は、師である 日朗上人を深く尊敬しており、
「この門は師匠が出入りする時以外は決して開けない」
――そんなエピソードが伝えられています。

いやもう、忠誠心がガチすぎませんか(笑)
戦国で言えば、「主君専用の門」みたいなもの。
普通は防御や格式のための門ですが、ここは完全に“敬意の象徴”として存在していたわけです。

さらに注目したいのが、さりげなく使われている丸柱。
なんと延慶3年(1310年)のものとされ、本土寺の中でも最古クラスの建築材。

つまりこの門――
見た目は落ち着いていますが、700年以上前の空気をそのまま残している場所なんです。
本土寺の境内には華やかな見どころも多いですが、こういう“静かにヤバい歴史スポット”を見つけるのも醍醐味のひとつです。

長谷山 本土寺「妙朗堂」
「妙朗堂(みょうろうどう)」
境内の奥、緑に包まれるように静かに佇むお堂。
ここが妙朗堂――本土寺の中でも、どこか“やさしい空気”を感じる場所です。

祀られているのは、日朗上人の母・妙朗尼(みょうろうに)。
本土寺を開いた人物を支えた存在であり、「母菩薩」とも称される女性です。

戦国や歴史の話というと、どうしても武将や僧に目が行きがちですが、その背景には必ず“支えた人”がいるんですよね。

妙朗尼は、安産や子育ての守護として信仰を集めており、この場所に立つと、どこか包み込まれるような穏やかさがあります。

建物自体は大正末期に建立され、昭和28年に現在地へ移築。
銅板葺きの屋根が落ち着いた光を放ち、派手さはないものの、長い時間を静かに見守ってきた風格が感じられます。

そしてこの妙朗堂、実は“季節イベントの主役級”。
6月下旬になると、周囲があじさいで埋め尽くされ、一気に華やかな空間へと変わります。

静かな母の祈りの場が、色とりどりの花に囲まれる――
このギャップがまたいいんです。

本土寺 を訪れたら、ぜひこの妙朗堂にも足を運んでみてください。
派手さはないけれど、じんわりと心に残る、そんな場所です。

長谷山 本土寺「瑞鳳門」
長谷山 本土寺「瑞鳳門」
「瑞鳳門(ずいほうもん)」
境内を歩いていると、ふいに現れるこの重厚な木造の門。
思わず足を止めて、「ここ、いいな…」と感じる人も多いはずです。

この門は文政4年(1821年)建立。
つまり、すでに200年以上この場所に時を刻んできた存在です。

近くで見るとわかるんですが、木の色合いや質感がとにかく渋い。
新品には絶対出せない“時間の重み”が、そのまま門の雰囲気になっています。

もともとは「旧輪蔵院」の門で、かつては像師堂の前に建っていたもの。
時代の流れとともに現在の場所へ移築され、今もこうして参拝者を迎えています。

こういう移築された建物って、ちょっとロマンありませんか?
いわば“場所を変えても役目を果たし続ける古参メンバー”。
戦国でいうと、主君が変わっても最前線に立ち続ける歴戦の武将みたいな存在です。

そしてこの門、実は季節になると一気に主役級に躍り出ます。
6月のあじさいシーズンには、門の向こうに色とりどりの花が広がり、まさに“額縁構図”の絶景に。

本土寺 は「あじさい寺」として有名ですが、その魅力を一番“写真映え”する形で切り取れるのが、この門かもしれません。
通り抜けるだけではもったいない場所、ぜひ一度立ち止まって、この門越しの景色を楽しんでみてください。

長谷山 本土寺「赤門」
仁王門だけじゃない!知られざる「赤門」
本土寺の「赤門」といえばほとんど(全員かも)の人が「仁王門」を思い浮かべるはずです。
しかし、寺務所の近くにはこんなに立派な赤門が建っています。
歴史やその詳細は不明ですが、塗装が少し剥がれた柱や、使い込まれた木の質感を見ると、長い時間、多くの参拝者を見守ってきたことが伝わってきます。
こういう門にこそ、本土寺の“リアルな歴史”が詰まっているのかもしれません。

⛩️ 参拝後記
本土寺を歩いてみて感じたのは、「ここはただの観光地じゃない」ということでした。

仁王門の迫力、歴史ある建物、静かに残る塔頭、そして戦国の記憶を伝える史跡――
それぞれがバラバラに存在しているのではなく、すべてが繋がって“今の本土寺”を形作っています。

そしてその中を歩く自分もまた、ほんの一瞬ですがその歴史の流れの中にいる。
そう思える場所って、実はなかなかありません。

御朱印をいただくという目的があってもいいし、季節の花を楽しむのももちろんいい。
でももし少しだけ時間に余裕があれば、ぜひ立ち止まってみてください。
何気なく通り過ぎそうな門や建物の中に、思わず誰かに話したくなるような“物語”が隠れています。

そんな発見があるからこそ、また訪れたくなる――
それが本土寺という場所なのかもしれません。
2026.04.25 17:40 | comment(0)
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