駒木諏訪神社(こまきすわじんじゃ)で御朱印をいただきました。

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基本情報[
駒木諏訪神社]
所在地:千葉県流山市駒木655
駐車場:あり
アクセス:東武アーバンパークライン「豊四季駅」より徒歩約10分
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参拝情報開門時間:午前5時30分~午後5時00分
社務所受付:午前9時00分~午後5時00分(祈祷や御朱印など)
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御朱印の種類と初穂料・通常御朱印のみの頒布となります。
初穂料:500円
授与場所:拝殿に向かって左手にある社務所にてご対応いただけます。
受付時間:午前9時00分〜午後4時00分
※午後3時以降は「書き置き」での授与となります。
流山の住宅地の中に、ひっそりと広がる鎮守の森。
駒木諏訪神社は、一見すると静かな神社ですが、その背後には壮大な歴史が隠れています。
源義家の伝承、江戸幕府の小金牧、そして人と馬が関わってきた長い時間――
この場所は、そうした記憶が幾重にも重なった“物語の舞台”でもあります。
今回は、この神社の歴史と魅力をご紹介します。

「直書きでいただいた御朱印」
一の鳥居の手前に建つ「神馬(しんめ)」の像参道の入り口で立派な神馬の像が出迎えてくれます。
この像は900年前、源義家が馬を奉献した伝承にちなんで、昭和50年(1975年)に制作されたものだそうです。
古くから馬産地として知られたこの地を象徴する像ですね。
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地名に刻まれた「馬の記憶」まず注目したいのは「駒木」という地名。
「駒」とは馬を意味し、古くからこの地域が馬と関わりの深い土地であったことを物語っています。
一の鳥居と神秘的な参道参道に足を踏み入れると、まず驚くのがその緑豊かな森!
約1万坪という広大な境内は、まるで街の中に現れたオアシスのようです。
鳥居の向こうへ一歩進むたびに、空気が少しずつ澄んでいくような感覚。
木漏れ日と石灯籠に導かれながら進む参道は、まるで別世界へと続いているかのようです。
参道脇に建つ「源義家鞍掛之枩の碑」松は枯れてなくなってしまいましたが、その場所には大正時代に建立された石碑が建っており、当時の風雅な物語を今に伝えています。
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神社と義家を繋ぐ「鞍掛(くらかけ)」の物語源義家とこの神社の関係は、彼が東北の乱(後三年の役)に向かう途中で戦勝祈願に立ち寄ったのが始まりです。
無事に平定を終えて帰る際、義家は再びこの神社にお参りし、神恩に感謝して愛馬と馬具を奉納しました。
その時、乗っていた馬の鞍(くら)を境内の松に掛けたと伝えられており、それが現在の「鞍掛(神社拝殿の道路を挟んで向かい側の地名)」という地名の由来になったのだそう。
「二の鳥居」大正3年(1914年)に一の鳥居として奉納されたそうで、当初は神明鳥居だったそう。
昭和56年(1981年)に、一の鳥居を新しく建立した際、八幡型に改修して二の鳥居として移築されたそうです。
参道脇の「出雲構え(いずもがまえ)の狛犬」躍動感がありすぎて、今にも動き出しそう!
この狛犬は、お尻を高く上げた「出雲構え」という珍しいポーズに加えて、足元に亀がいるという、全国的にもかなりユニークな姿をしています。
「隨神門」深い緑の参道に現れる立派な随神門。
普通の神社とは違い、随神様がこちら(参道)を向いていない不思議な造り。
門をくぐる時、そっと見守られているような、優しい空気感に包まれます。
平成17年(2005年)に鎮座1200年を記念して建立された諏訪神社の隨神門は、とても独創的。
通常、随神の背後は壁で塞がれていますが、この門は左右三方が開け放たれた独自のデザインになっています(現在は雨風を凌ぐためガラスが入っています)。
全国でも珍しい、向かい合う「随神様の像」一般的な随神門は、守護神である随神(左大臣・右大臣)が参道に対して正面を向き、邪気が入らないよう見張っています。
しかし、駒木諏訪神社の随神門は、二柱が向かい合う形で配置されています。
これは、参拝者を「お迎えし、お見送りする」という全国的にも極めて珍しい「おもてなし」の形式とされています。
「三の鳥居」文政11年(1828年)に建立された八幡鳥居。
その先に広がるのは、心が整う「おすわさまの森」。
木々と石が織りなす静寂の世界へと足を踏み入れると、一歩進むごとに日常の喧騒が遠のいていくような、不思議な心地よさに包まれます。
「神門」昭和39年(1964年)12月に、第52代古谷金祐宮司の奉納によって建立されました。
一歩くぐれば、そこは木々と祈りに守られた別世界。
静かな時間が流れる境内へと、自然に心が導かれていきます。
拝殿前の「狛犬」実はこれ、長崎平和祈念像で知られる巨匠・北村西望先生が100歳の時に手掛けられた作品だそう。
筋肉の質感や気高い表情がまさに芸術品、、その力強さに圧倒されます。
神社の静謐な空気の中で、ひと際強い輝きを放っていました。

「拝殿」神門をくぐってまず目に入るのが、開放的な造りの拝殿です。
板敷きの床ではなく、石敷きの広い空間がそのまま拝礼の場となっており、外と内がゆるやかにつながる独特の佇まいを見せています。
この形式は、信州の諏訪大社 上社本宮の「拝所」を思わせるともいわれ、深い森に包まれた境内の雰囲気と相まって、どこか原初的で厳かな空気を感じさせてくれます。
現在の拝殿は、寛延2年(1749年)の火災で焼失した後、江戸時代後期に再建されたものです。
流山出身の名工、八木の文蔵(やぎのぶんぞう)の手により、弘化3年(1846年)に完成しました。
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徳川光圀(水戸黄門)も参拝江戸時代、この地には水戸の名君・徳川光圀(水戸黄門)も足を運んだといいます。
「駒木のおすわさま」の名は遠くまで届き、武蔵国の人々や江戸の商人たちが、それぞれの願いを胸にこの森を訪れました。
拝殿に残る擬宝珠の刻銘は、そんな往時の賑わいを、今にそっと語りかけてくれます。
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ご由緒平安時代の大同2年(807年)、大和国から移住してきた高市皇子の後裔が、信州の諏訪大社から御神霊を勧請して祀ったのが始まりとされています。
御祭神は「建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)」。
風や水の守護神であり、五穀豊穣、商売繁盛、武勇の神として信仰されています。
「手水舎」江戸時代、この一帯は幕府直営の巨大牧場、小金牧の一部でした。
広大な草原に馬を放ち、必要なときに捕らえる「野馬」の文化が息づいていた場所です。
牧場から逃げ出さぬよう、周囲には野馬堀や柵が張り巡らされていましたが、それでも時折、馬たちは柵を越え、神社の境内へと迷い込んできたといいます。
喉を潤すため手水に口を寄せ、踏み込んだその蹄の跡は、今も水盤にわずかな歪みとして残されています。
静かな境内の一角に、かつてこの地を駆けていた馬の気配が、そっと刻まれています。
「義家献馬(よしいえけんば)の像」馬にそっと手を添える源義家の姿は、戦の緊張とは対照的な静けさに満ちています。
この像は近代彫刻を代表する北村西望先生による作品で、その穏やかな表現の中に、武将と馬が歩んだ時間が凝縮されているかのようです。
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伝説のヒーロー「源義家(八幡太郎)」ってどんな人?境内に堂々と立つブロンズ像「義家献馬の像」。
このモデルである源義家(みなもとのよしいえ)は、平安時代を代表するトップスターのような武将です。
後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる人物で、河内源氏の棟梁でした。
京都の石清水八幡宮で元服(成人式)をしたことから「八幡太郎」と呼ばれ、武士たちの憧れの的でした。
ただ強いだけでなく、和歌を詠む風雅な心も持っていました(文武両道)。
戦に向かう途中、散る山桜を見て詠んだ歌が今も語り継がれるほど、感受性豊かな人物だったと言われています。
また、朝廷から戦の褒美がもらえなかったとき、なんと私財をなげうって部下たちに褒美を分け与えたという伝説もあります。
そんな情の深さが、多くの武士の心を掴んだ理由かもしれません。


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展示スペースの「生け花」塀に設けられた展示スペースには、たくさんの生け花が。
そこに活けられた花々が、訪れる人の視線をそっと引き留めます。
足を止めてふと覗き込むと、境内の空気と調和するようなやさしい彩りに出会えます。

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「梶の葉(かじのは)おみくじかけ」諏訪神社の紋(神紋)、「梶の葉」を模したおみくじかけ。

梶の葉のおみくじがあったのでひいてみました。
末吉だった…💦


「境内社」境内には小さなお社の境内社がたくさん鎮座しています。
一つ一つお参りしていると、お賽銭の小銭が心もとなくなってきます(;'∀')
駐車場で見つけた「和同開珎」のモニュメント何でここに和同開珎が…、埼玉の
聖神社では和銅の採掘地だったから納得だったけど…。
だれか教えて~!
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参拝後記木々に囲まれた境内をあとにするとき、不思議と心が整っていることに気づきます。
ここには、長い時間をかけて積み重ねられてきた祈りと記憶が、静かに息づいています。
ただ参拝するだけでなく、境内をゆっくり歩きながら、その背景にある物語に目を向けてみると、見える景色が変わってきます。
流山の一角に残るこの森で、少しだけ立ち止まり、そんな時間に触れてみてはいかがでしょうか。
流山を訪れた際は、ぜひ一度足を運んでみてください。